庭の鳥
ここ数日、目に見えてヒヨドリが調子に乗り出した。元々ナワバリ意識の強い鳥だから仕方がないことは仕方がないが小さなメジロだけでなく、キジバトにすら威嚇しながら飛びかかるようになった。
ネットで検索してみるとヒヨドリが他の鳥を啄んで怪我をさせてしまうこともあるらしい。それは良くない。更に検索してみると餌を糸と針につけて吊り下げることで体重があるヒヨドリには落ち着いて食べられないようにしたり、メジロは入れてヒヨドリは入れない柵の中に餌を設けたりする方法があることを知った。なので早速作りました。
発泡スチロールに木の棒を刺しただけの簡単設計です。これまでリンゴを置いておいた木箱の下にくっついてます。
しばらくするとメジロがやって来て早速箱を見つけましたが写真に収めるまもなく一瞬で出ていってしまいました。
しかし、少し時間を開けて覗いてみると
中に入って一生懸命食べていました。少し食べては周りをキョロキョロ警戒してまた食べていて可愛い。
しかし、しばらくするとヒヨドリが頭を突っ込んで食べていたので改善する必要がありそうです…
そして私は東京に戻ってゼルダの伝説をやりまくるダメ人間になったのでしばらく鳥達とはお別れです…東京より故郷で生活する方がコンビニ近いし楽なんだけどな。
鳥を見る日々
昼過ぎのフードコートで窓側の席に座って食事をしながら高いところを舞っている鳶を眺めていたら祖母が「あれ、なんの車?」と言うので見ると、畑の真ん中にタクシーが止まっている。「タクシーだよ、ほら運転手降りてきた。えっなんで?」畑の端にある草むらに一直線に歩いていく。辺りに人はいない。ショッピングモールのフードコートの窓からはしっかり見えるけど…「大自然のトイレ?」マジでそうだったらしく草むらの中で暫く運転手は立ち止まっていたのでハンバーグの付け合せのパスタを食べながら爆笑してしまった。
私は今祖父母の家で受験期にひどくなったアトピーを治したりしている。別にストレスに関しては美味しいものが食べられるってくらいで物凄い効果がある訳では無いけれど。テレビゲームもないし。
祖父母の家の庭には2羽のキジバトが住んでいる。あと祖父の置いたリンゴにメジロやヒヨドリが寄ってくる。
私は動物が好きだし中でもとりわけ鳥が好きだ。好きな食べ物も鶏肉と卵と蕎麦、来世はフクロウに就職希望。
そんなわけで庭に面した窓に張り付いてキジバトの夫婦に米を与えたり果物を食べるメジロを双眼鏡でずっと見たり相棒の再放送を観たりして毎日を過ごしている。
メジロは小さくて可愛い
夏の私とキジバト 餌がないと窓際まで来てこっちを見つめて催促することもあった。家の中まで入ってきて餌を食べたこともあった。
ブログを作った
生まれて初めてブログを作った。
承認欲求が高いほうだ、小学校高学年から高校一年生まで合唱なり、吹奏楽なり、演劇なりで評価を頂いてきた。
でも今は何もしてない。尊敬する先生、最高の仲間、可愛い後輩はこれ以上はいらないと思った。
承認欲求は細かく細かくしてゲームで満たしている。
何を書いたらいいのか分からないので私がしょっちゅう悩んでいることを書く。
夕日は赤い。晴れた昼の空は青い。
多分大抵の人類はそのことを知ってるけど、私の見てる赤と友達が見てる赤、それは本当にどっちも同じ色なのか。
私が赤色だと思って見てる夕日を、私にとっての「茶色」として見ている人がいるかもしれない。先程の写真は数年前に綺麗だと思って友人と撮った写真だが、その時周りにいた人達は誰も夕日の話をしたりカメラを向けたりしていなかった。
周りの人には私と違う色で夕日が見えていて、それはその人にとっては綺麗な色じゃないのかもしれないと思った。
他人の脳が何をどうやって認識してるのかを完全に再現することはできないと思う。
生まれた時から、夕日は赤い。ってみんな言ってるけど、「赤色」
って呼び方だけを統一しているだけで見えている色がそれぞれ違ったとしても誰も気づけないんじゃないか。
私は私の見てる世界の色彩に満足しているけど、誰かの視界を借りてみたら空が私にとっての緑だったり、米が私にとっての青だったりしたらめっちゃ嫌。
生まれた時から慣れ親しんだ自分の見てる色を突然失いたくはないなーってこんな話を今まで何人かにしてしたけどあまり理解を得られなかった。